「石井南耕、宇野先生 そして父」松本燁之


この記事は、「奎星会 Member's essay」より抜粋したものです。


「書の美」との出会い

古い木造の建物、墨で真っ黒になった高校の書道部室。そこに黒のベレー帽を被り黒ずくめの服を身に如何にものお姿は、作品と共に大好きだった。南耕先生は生徒たちに墨を磨らせ墨池に溜めおき悠然と書いて居られたのが今も脳裏に浮かぶ。


天井まで届いた古い本箱には書関係の本がズラリと入っていた。そこで、上田桑鳩の教科書「書の美」と出会う。新鮮と云うか斬新で、今までに見たこともない作で 目の前に明るい陽差しがさしこみ人生の幕開けのような気がした(笑)


南耕先生に連れられて上京し宇野雪村先生のアトリエにてレッスンを受け始める。

学生時代から毎日書道展に宇野社中として出品してきた。その頃は制作に関して飛沫やにじみ、潤渇の良さも分からず、自由奔放にさせてもらった。時には、ベニヤ板に石膏をかけエナメルやラッカーを使ったりして奎星展で賞を頂いた頃を思い出す。

先生は、特別な指導もなく余分なもの不足している線、重い軽い等と、意味表現でしか仰らなかった。それは余白の取り方や 構築性のあり方、黄金比率の効果を身に付けさせる学生たちへの愛の鞭だったのかもしれない。

身体の動きと文字の書にかける時間が、共に関係した行為であることが徐々に分かってくる。

そして自分が感動するものは見る人に感動を与えると云うこと。前衛書の醍醐味(魅力)を身をもって肌で知ることとなる。


私の原点 父 板橋一歩

私の父は高校の教諭であり彫刻家でした。(日展~二紀会)。制作に対する厳しさは 環境的にもその背中を見て育った。

良い作品は生で見る(本物鑑賞)、古典に帰る(故郷)、エスキース(スケッチ・草稿)を繰り返すことを学ぶ。

私は書に限らず絵画、立体、陶芸に触れることを重ねた。マチス、ゴーギャン、ピカソ、サムフランシス、李禹煥、草間彌生、建築の安藤忠雄等々。陶芸の河合寛次郎、石黒宗磨もいい・・・。

訪中や訪仏などはそのルールを辿り 交流を深めその国の良さを知ることで、さらに知識も高めていく。

そうした中、時には大自然は牙をむき猛威を奮い、大震災が日本列島を揺るがす。為すすべもなく、人間の無力感.....。されど強く立ち上がり、芽ぶく、勇気、愛、絆が生まれる。今、自分は何ができるのか考える。精一杯今と向き合う。


父が遺した岩絵具

父や師匠に恩返しも出来ていないまま、混沌とした中、父のアトリエを整理していた時、岩絵具や顔料、膠などが遺されていたことを知る。偶然の出会いから我流でも使ってみようかと思い立つ。

墨彩を通し心の中に潜在している文字、点と線の融合。まさに余白の空間に互いが呼応する美的交流の場

象形と新しい出会いを求め、漢字変遷のなかで 自発的爆発を奏でていく。

今暖めている何者かを溜めていく観察力、そして今後はさらに洞察力を高めていきたい。



前衛書家 松本燁之 Youshi Matsumoto

前衛書家 Youshi Matsumoto

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